知里幸恵 語り継がれたアイヌの伝承

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「語り継がれた伝承」
アイヌの暮らし・知里幸恵
「先住民族とは?」

  知里幸恵 ちりゆきえ 1903〜22 「アイヌ神謡集」(→ アイヌ神話)の著者。北海道幌別郡幌別村(現在の登別市幌別)生まれ。父知里高吉、母ナミ(旧姓金成)。弟に高央、言語学者として知られる知里真志保がいる。金田一京助がアイヌ研究のために北海道をおとずれた際、ユーカラをローマ字筆記した金成マツは、母方の伯母にあたる。幼少時から旭川の近文(ちかぶみ)で聖公会の布教活動をしていたマツと口承文芸に卓越していた祖母モナシノウクのもとでそだつ。5歳年下の真志保も高等小学校のとき一時同居している。1920年(大正9)、旭川区立女子職業学校卒業。

在学中から、心臓弁膜症の持病になやまされていたが、作文と習字がとくに得意な成績優秀な少女で、女性3世代の暮らしの中でアイヌの口承文芸を吸収していった。1918年(大正7)、モナシノウクを取材にきた金田一京助にであってアイヌ口承文芸の重要性を自覚し、筆録と和訳を決意。金田一のアイヌ研究にも影響をあたえた。22年5月に上京し、金田一宅に同居。同年9月、「アイヌ神謡集」校正完了直後に、心臓弁膜症のため19歳の若さで急死。雑司が谷墓地に埋葬された。

  金田一京助 きんだいちきょうすけ 18821971 

言語学者・国語学者、文学博士。盛岡市に生まれ、1907年(明治40)東京帝国大学言語学科を卒業。28年(昭和3)東京帝国大学助教授、42年同教授、43年退官後は国学院大学教授。54年文化勲章を受章。アイヌ語の研究をすすめ、32年、「アイヌ叙事詩ユーカラの研究」で帝国学士院恩賜賞をうけた。「言語研究」「国語音韻論」などの言語学、国語学に関する著書があるほか、国語辞典や国語の教科書の編纂(へんさん)をおこなったことでも知られている。また、同郷の歌人、石川啄木と親交をむすび、自らも「心の小径」などの随筆を書いた。

 

  「アイヌ神謡集」

 金田一からノートをおくられた幸恵が、祖母から伝承したアイヌ民族の口承文芸を筆記。彼女自身の意識により文学作品として創出した作品。カムイユーカラ(神謡)とよばれる13の小編が、ローマ字表記によるアイヌ語原文と和訳でおさめられている。死の翌年、炉辺叢書(ろばたそうしょ)の1冊として郷土研究社から刊行された。アイヌ語表記の正確さと和訳の美しさから、珠玉の名著と賞賛されている。また「その昔、この広い北海道は、私たちの先祖の自由の天地でありました。」ではじまる序文や、アイヌコタンをまもるフクロウ神の寿詞(じゅし)の訳語「銀の滴降る降るまわりに」は、アイヌ文化を象徴するフレーズとして広く一般にも知られている。その他の筆録は「知里幸恵ノート」として、北海道教育委員会から報告書の形で刊行された。

  ユーカラ 

アイヌの口承文芸のうち、節をもつ形式の総称。節をもたない散文形式(ウウェペケレ。トゥイタクとも)もあり、昔話・民話に分類されているが、それはユーカラとはいわない。サハリン(樺太)ではユーカラといえば歌謡をさす。節のある叙事詩には英雄詞曲(人間のユーカラ)と神謡(カムイユーカラ。オイナとも)があり、主人公が「私は」と一人称で謠(うた)う。金田一京助が北海道南部でユーカラとよぶ英雄詞曲を世間に紹介したので、その地方の名称である「ユーカラ」が有名になった。他の地方では同様のものをハウキ(サハリン)、サコロベ(北海道東部)などと別称でよぶ。

  . 英雄詞曲

  北海道南部の英雄詞曲は、「シヌタプカの城から出ることもなく姉に大切に育てられた少年シヌタプカウンクル(あだ名はポイヤウンペ)は、自分の生い立ちを知り、立派に武装して、親を殺した敵と壮絶な戦いをくりひろげ、いったんは切りきざまれて死ぬが敵方の美少女の巫術(ふじゅつ)の助けで骨に肉がくっついて生きかえり、最後には勝利をえて平穏な日々をおくる」。サハリンや北海道東部では主人公がオタスッびととされる。

本来、これが男性によって演じられた典型的な筋である。女性が演じて、恋物語に重点がおかれたり、女性が主人公の演目もある。伝承の過程での創作の余地や、伝承者が自分でそれを筆録するときにおこなった創作がどのくらいあるものかという問題は文学としての性格にかかわるが、現在では伝承者はほとんどいない。しかし常套句(じょうとうく)は他のジャンルに援用され、英雄詞曲はアイヌ文学の古典的な位置にあるといえる。夜だけ演じて数晩におよぶことがあり、聞く者は合いの手をいれて演者を元気づけながらたのしんだという。知里真志保は異民族(オホーツク文化人:→ オホーツク文化)との戦争をうたった民族的叙事詩と解釈したが、その当否については諸説ある。

  神謡

  サケヘという独特の繰り返し詞をもち、神々が自分の体験をうたって聞かせる形式のもの。サケヘは主人公の鳴き声や動作の特徴をあらわすことが多く、非常に頻繁にくりかえされる。はじめは狩猟に関連する呪術的な意味合いをもっていたと考えられる。節とサケヘをとりさり散文の形式で語ると、ウウェペケレになる。現在では、自然の生き物が神として行動する内容や自然界で生きるための教訓がふくまれているところが好まれて、アイヌ文化復興運動の中で注目されている。