知里真志保 幸恵の弟・東京大学民族学者

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「語り継がれた伝承」
アイヌの暮らし・知里幸恵
「先住民族とは?」


    知里真志保 ちりましほ 1909〜61 

言語学者、アイヌ語学者、民族学者。アイヌの血をひくアイヌ研究の学者で、独自のアイヌ語文法体系をつくりあげただけでなく、アイヌ文学をはじめとするアイヌ文化を広く研究した。→ アイヌ

北海道の登別で、農・牧畜業をいとなむアイヌの旧家に生まれる。「アイヌ神謡集」(1923)の著者知里幸恵の弟。第一高等学校をへて東京帝国大学文学部言語学科でまなんだ。卒業後は、一時三省堂で辞典の編集にたずさわるが、1940年(昭和15)から43年まで樺太(サハリン)の豊原(現ユジノサハリンスク)の高等女学校教諭をつとめ、この間にカラフトアイヌ語の調査をおこなった。49年北海道大学文学部講師、58年に教授となった。

 「アイヌ語法概説」(1936)、「アイヌ語入門」(1956)などのアイヌ語学に関する論文や著作を数多く発表しているほか、アイヌ文化を知るうえで貴重な史料となる「分類アイヌ語辞典」(「植物篇」1953、「人間篇」1954、「動物篇」1963)をあらわしている。また、アイヌの習俗や伝承についても幅広い研究活動をおこなった。知里真志保は、自分が日本における少数民族であるアイヌの出身であるという意識を強くもちつづけ、「アイヌ語入門」ではほかのアイヌ語学者の研究に対して強い批判をおこなった。

 アイヌ語 アイヌご アイヌがもちいてきた言語。以前は、東北地方、北海道、サハリン(樺太)南部、千島(クリル)列島、カムチャツカ半島南端にわたって話されていたと推察されるが、カムチャツカのものは、ロシア人の記録によるわずかな語をのこすのみで消滅し、東北地方でも地名などにわずかにその痕跡(こんせき)をとどめているばかりである。結局、現在のこっているアイヌ語は、北海道方言と樺太方言のみで、これらも日常語としてはもちいられていない。

  系統はいまだに不明である。アイヌ語では、叙事詩などでもちいられる「雅語」と日常会話にもちいられる「口語」との違いが大きい。

音韻的には、母音がa、i、u、e、oの5つ、子音が12個区別され、日本語と同様、高低アクセントであるが、閉音節が一般的である。語順は、主語・目的語・述語で、修飾部は被修飾部に前置される。文法関係は接辞や助詞(助詞類は後置される)などであらわされ、膠着語的性格を有している。接頭辞や接尾辞による派生がかなりひろくおこなわれ、目的語や補語、その他の文法的関係をあらわすさまざまな要素が結合して1つの単語を形成する抱合語的な性格ももっている。

 アイヌ神話 アイヌしんわ アイヌ民族の神々の物語は、神謡とよばれる形式の口承文芸でつたえられてきた。神謡には自然神を主人公とするものと、文化神を主人公とするものとがあり、後者が聖伝とよばれることもある。アイヌ神話には、王権にかかわるような政治的な神話は存在しないが、長い歴史をへてさまざまな伝承が合理化され、現在知られるような神話になった。

 アイヌとカムイ

  アイヌ語では、人間を意味する「アイヌ」に対して、神は「カムイ」とよばれる。このカムイを知ることが、アイヌ神話を知る糸口になる。カムイと日本語の「神」との関係について、同源、借用などの説があるが、両者の概念は同じではない。カムイの概念はひじょうに広く、複雑な様相を呈している。動植物、天体、気象、病気などの自然のものから、家や道具などの人工物、実体がない観念的な存在まで、カムイと尊称されるものは数多くある。しかし、すべてを神と考えるわけではなく、生活にさほど重要でないものやあまりにありふれたものはカムイと尊称せず儀礼もおこなわないが、霊魂はすべてのものに存在するとされている。

  これらの神には序列があって、クマやシマフクロウ、シャチ、オオカミ、また雷神などは位が高い。しかし、人々が日常的にいのる神は別で、まず火の神が筆頭とされ、水の神やその地域の神々は戸外で祭壇にまつられる。また、神は同種が無数にいるとされるため、固有名詞ではなく火の神ならアイヌ語で「火の姥神(うばがみ)」などとよばれる。しかし、中には「ポロシリ岳の神」や「石狩の水源地をおさめる神」のように地名が特定された神の物語もある。

  神は人間の力のおよばないことをつかさどると考えられている。たとえば飢饉はシカやサケを地上におろす神の不機嫌によってひきおこされるが、その原因は人間が自然界の恵みに対する礼儀をわすれたためとされる。また、神の行動は人間のふだんの生活に連動し、生死と直接つながっている。もし、人間の側に落ち度がないのに不幸におちいった場合、たとえば事故死したようなときは怠慢な神に抗議して、今後の安全を約束させる。神も人間から感謝され、まつられ供え物をされることによって神の世界での株があがる。アイヌの神と人間は、対等の互恵関係ということができる。

 カムイモシリとアイヌモシリ

 アイヌの世界観には、神々のすむ世界であるカムイモシリと人間のすむ世界であるアイヌモシリがある。魔物がすむ世界はテイネモシリといわれる。神は、カムイモシリにいるときは人間と同様の姿をしているが、霊魂なので人間からはみえない。ときどきおみやげをもって(狩猟獣なら肉や毛皮をつけて、あるいはコタンをまもる神シマフクロウなら人間たちの安全の見回りに)、動物の姿となってアイヌモシリをおとずれる。

たとえばクマは、人間に毛皮をぬがせてもらい、肉をとってもらって霊とならなければカムイモシリにかえれない。そのため、人間は神がふたたび人間の世界におみやげをもって遊びにくるように、丁重に霊送りの儀式をおこなう。飼い熊送りの儀式であるイオマンテはとくにその意味合いが強いが、穫物に対する儀礼はいずれもそのような意味をもつ。

天上にあるカムイモシリは6層になっているとされ、最上界にもっとも高位の抽象的な「天神」がいるが、それは日神であるとも雷神であるともいう。地上の生き物のカムイモシリは山奥にあり、空をとぶ鳥は天界のカムイモシリへかえる。シャチなどのカムイモシリは海にある。悪行をおかした者は再生できないようにされ、魔物がすむ地下のじめじめしたテイネモシリ(ポクナモシリ)へいくことになる。神話には、神がアイヌモシリでそれぞれの姿をとって人間とのかかわりをもち、ほめられたりこらしめられたりしてカムイモシリにかえる物語が多いが、神同士の妻争いや夫争いの物語などもある。


   金田一京助「大雪山」

 文化神アイヌラックル

  国づくりの神がアイヌモシリをつくったときに、最初に生えたのはドロノキで、次にハルニレが生じた。そして、人間に火をさずけようと、まずドロノキで火起こしをしたが失敗し、悪神たちが生まれた。しかし、ハルニレからは火が生じて善神たちが化生(けしょう)した。女神ハルニレの美しさにみとれた雷神(日神、疱瘡神ともいう)がハルニレの上におち、文化神アイヌラックルが生まれた。そのため、母親が着せたアツシの裾(すそ)はこげているとされる。

人間に生活の知恵をさずけた文化神は人間の姿をしており、代表的な名称だけでも北海道ではアイヌラックル、アエオイナカムイ、オキクルミ、サマイェクル、サハリンではヤイレスーポ、パーリオンナイなどがある。それぞれ別神であるが、性格は混同されたりいれかわったりしており、地域によってことなる。

彼らは単独または2人組であらわれ、人間に有用な植物をおしえたり、安全にくらすためのルールをおしえたりする。また、魔物を退治する話もたくさんあり、強いパワーの持主として描写されることも多い。これをシャーマンの反映とする説もある。人間型の文化神の物語は、自然神の物語よりも比較的自由に変化してきたと考えられる。