南の黒潮圏文化から オホーツク・アイヌ文化期


火山国 日本の古代史

 オホーツク文化とは何か(天野哲也 北海道大学総合博物館助教授)

  オホーツク文化とは、凡そ日本の古代を中心とする時期(5〜13世紀)に、オホーツク海南岸一帯、即ちサハリン南部から北海道北部―東部そして千島列島に展開した、海洋民が作り上げた生活様式である

オホーツク文化の最大の特徴が海洋適応にある。

  集落やキャンプなどオホーツク人が残した遺跡の分布は殆ど海岸部に限られている、海から最も離れた集落の例である紋別市元紋別栄遺跡ですら、現海岸からせいぜい1kmほどしか離れていない。

 遺跡のこの立地条件はオホーツク人の暮らしが海と如何に深く結びついていたかを示している。

 オホーツク人は海辺で実際どのように暮らしていたのだろうか?

「縄文文化」の文化圏

@ , 北海道北半分――ロシア沿岸地方やサハリン A  北海道石狩低地から東北地方北部――ロシア沿岸地方から中国東北部 B  東北地方南部――環日本海交流、主にロシア沿岸地方から中国東北部 関東・中部地方北陸地方東海地方F   近畿・中国・四国地方九州地方――北部を中心として、朝鮮半島と中国大陸H  南西諸島――対馬海流を媒体として、朝鮮半島や台湾・中国、更に北は九州地方から南は先島諸島まで黒潮を媒体として連なり、フィリッピン諸島にも至る。

 日本列島は大きくは、北海道北半、本州・四国・九州を中心とした本土、南西諸島という三つの地域によって形成されていた。

 本土はまた、幾つかの文化地域に分割されるが、それらが日本列島を構成していたことが明らかになってきた。

  初めから日本史として一括される日本列島の歴史があったわけでもなく、日本列島と隣接の半島や大陸との文化の共通性も検討しなければならない段階に来ている。

 縄文文化は、どこから始ったか?

 これまで縄文文化の始まりは、長い間、北方起源と考えられてきた。

@        縄文時代の初期に東北日本を中心に数多く分布した、大型で特徴のある石槍や石斧などが北方系であること。

A        縄文文化が東高西低であると考えられていたこと。

 などの理由があった。

 ところが、近年、種子島も含めた南九州で、約一万一千年前に噴火した桜島起源のサツマ火山灰の下から、縄文時代初期(早期)の遺跡が発見され、北方起源説だけでは済まされなくなってきた。

(日本の歴史「縄文の生活誌」岡村 道雄著抜粋)