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アイヌ文化とは? (深沢 百合子)
文字を持たない・エスノヒストリーの歴史
アイヌ文化自体のもつ表現手段として存在するのは、物質文化がある。
アイヌ民族が使用したモノ、或いは作ったモノであり、そしてそれらが使い残された遺物、遺構などでさる。
このモノからアイヌ民族の過去を復元することはできるだろう。このためには収集された民族資料や発掘調査から獲られる考古資料などを研究する物質文化研究を重要視しなければならない。
無文字社会の歴史を考えるときに最も重要な資料となる。
実際に考古学の成果として、物質文化から復元されるアイヌ文化の過去は、これまで文字社会による理解からでは解らなかった事実を知ることが多い。
例えば、アイヌ文化の鉄技術について、文献では北海道アイヌは鍛冶技術を知らないと言われているが、実のところ発掘調査から1667年以前のアイヌ集落跡(千歳市ユカンボシ遺跡=別紙・平取町イルエカシ遺跡、平取町ピパウシ遺跡)からは、炉跡や羽口、鉄滓(てっし)=写真1,方形状鉄塊=写真2などが発見され、アイヌ文化には鉄の技術があり、鍛冶をやっていたり、中には古鉄を使用して試行錯誤で鋼などを作り出そうとしていたことが解った。
文献史料からではこのようなアイヌ文化の認識は解らない。
沙流川流域(樽前火山)のアイヌ集落であるピパウシ遺跡から出土した鉄関連の炉(上記図2、写真3)は、1667年 降灰の樽前b火山灰と、1663年降灰の有珠b火山灰の2枚の火山灰に挟まれて発見された(図3/4)
この炉の推定年代が4年間であることになる。
アイヌ物質文化は、多くは和産物・日本製のモノが含まれている。
発掘調査から得られる資料について、このモノが属する社会をどうやって見極めるのかが課題となる。
出土遺物が明らかに、属する社会を判断できればよいが、アイヌ物質文化のように、その多くは和産物と言われる日本製のモノが含まれ、アイヌ民族に使用されたモノであったかどうかを特定するのが難しい。
アイヌ文化へ入った和産物といわれる日本文化のモノは、アイヌ文化に入ると必ずしも、日本文化で使用されてあいた本来の目的と同じように使用されるとは限らない。
アイヌ文化に属する人々の考え方や生き方や価値観が日本文化に属する人々と異なれば、日本文化のモノがアイヌ文化に入っても、アイヌ文化内で、そのモノの新たな存在意味が生じることになる。
例えば、発掘調査から出土する古銭について。
和人社会で金銭的な価値を持つ古銭は、金銭的な価値を持たないアイヌ社会では針入れの先端部(図5)に付けられたり、女性の首飾りの一部に装飾品(写真7)として使用されることがある。
つまり銭はアイヌ社会に入ると、お金としての価値が失われ、社会的な存在意味が変化して、アイヌ民族の社会における独特な意味が生じる。
それは日本社会の中で与えられていたモノの本来の意味とは異なることがある。
だから出土した古銭にだけ注目してみても、この古銭の社会における存在意味というのは理解できないことになる。
これから言えることは、モノとして見た目には同じモノに見えても、異なる文化の中で異なる存在意味があり、異なる使用方法があるということである。
だから出土した古銭を解釈刷るとき、それを即、日本の貨幣経済の存在に結びつけて考えたり、逆に、アイヌ文化の中に出現する日本の古銭を見て、アイヌ社会は既に日本の貨幣経済に含まれていたと解釈するのは危険である。
他の例では、和鏡(写真9)について。和人社会で鏡として使用されていたものが、アイヌ社会ではやはり女性の首飾りの一部に装飾品(写真7)として使用されることがある。
アイヌ女性の土抗墓から出土した和鏡は、首飾りの一部として埋葬され、ガラス玉などを伴い副葬品として出土する。
注目するのは、この場合、和鏡に小さい孔が縁辺部に二つ開けられていて、紐などを通してガラス玉と連結させ、首から提げられるように加工されている(写真10)。
これはアイヌ社会の存在意味に合うように、モノを変化させている。
従って、古銭や和鏡を遺物として解釈するときに、古銭や和鏡には実際どのような社会的存在意味があったのかを知る必要がある。
誰が、どのように使用したのかを理解し、解釈することが重要なことである。
出土遺物としてモノの外観だけに注目してしまったり、その遺物のアイヌ社会での存在意味を見失ってしまうと、出土遺物を見誤ることがあるので注意しなければならない。
(札幌国際大学人文学部教授、深沢 百合子)