アイヌ文化とは何か
(深沢 百合子 札幌国際大学人文学部教授)
「語り継がれた伝承」
アイヌの暮らし・知里幸恵
「先住民族とは?」
擦文文化とアイヌ文化
二風谷アイヌ博物館
文字社会から見た無文字社会
アイヌ文化に中世、近世はあるのか?
「中世、近世」という日本史で使用する表現は、北海道の過去についてよく知らない人々にとって、中世、近世という具体的な歴史イメージをもたらし、いつ頃の話なのか解りやすい。
しかし、少し考えてみると、果たしてこのような表現方法に問題は無いのだろうか。
日本史で中世、近世と言えば、その時代の概念をもって、同じ歴史を共有する人々に対して定義づけられる用語である。
しかし、民族が違うアイヌ民族の人々は、日本人と同じ歴史を共有しているわけではないであろう。
19世紀半ば、明治時代にアイヌ民族の人達が好むと好まざるとに関わらず、国民として日本の歴史に中に組み入れられたことは事実であるが、アイヌ民族には固有の言語があり、固有の風俗習慣や宗教などの伝統文化があっただろう。
そればかりではなく、何にもましてアイヌ民族の固有の歴史があったであろう。
アイヌ民族の歴史を考え、その文化の変遷を考えるとき、果たして中世、近世という表現や時代区分は適当な表現になるのだろうか。
アイヌ文化を考えるために!
日本史の歴史的枠組みというのは、過去の人々が書き残した文字史料に基づく。
史料は歴史研究家により批判を加えたうえで、より確かな文献となり歴史として組み立てられていく。
文献史料は、年代がわかる文字記録を持つときに最も有効に歴史的枠組みを組み立てる。
文字社会においての歴史の正当な研究方法である。
文献史料は、歴史を釵述するのに最も重要で役立つ情報ではあるが、人間が書き記したものなので色々と問題がある。
特に、文字を持たない人々について書いた史料は、一方に書いた史料が無いため、公平さに欠ける。
文字社会の人が無文字社会のことを記録した場合、その記録は先入観や偏見が入っていないとは言い切れないし、先入観や偏見に支配された観点や文字を持つ側からの視点でのみ描かれていることの方が多いので、情報が均質であるかどうか疑わしいことになる。
文字を持たないアイヌ民族に民族自体の過去を記録した文字史料は無いので、これまでアイヌ民族について書かれた多くの歴史は、アイヌ民族以外の異文化から記録されたものである。
中でも、長期に亘って接触関係にある日本側から、日本人のよって書かれた記録史料、文献史料、そして民族誌としてアイヌ文化を観察したり、アイヌ民族の人に聞いたことを記録した誌料からアイヌ民族の歴史が組み立てられ「アイヌ史」とか「アイヌ民族史」と言われている。
このような文字社会から見た無文字社会についての記載は、情報に偏りが生じることがあり、必ずしも無文字社会の実態を正確に表しているとは限らない。
又、文字を持つ側からの視点でのみ描かれ、先入観や偏見に支配された観点も多いことがあり、記述の採用にあたっては慎重に考慮する必要がある。
他の社会に残された文献史料は、その対象とする社会そのものを表現していないかもしれないという困難な問題があることを考えると、結果として文字として描かれたものは、無文字社会の実体というよりはむしろ文字社会の異民族観、文字社会の他社認識方法を示していると受け取れる。
つまり「アイヌ史」と称しているのは、実のところ日本の他社認識方法の歴史であり、文字社会がアイヌ民族をどう見てきたか、どう取り扱ってきたかという歴史を表していることになる。
厳密に言うと、これらは「アイヌ史」と言うよりは「日本史」であり、日本社会のアイヌ民族、アイヌ民族認識史と言う方が解りやすい。
つまり「対アイヌ民族日本思想史」や「対アイヌ民族日本交渉史」とか、「対アイヌ民族日本漁業権史」とか、「対アイヌ民族日本経済史」とタイトルを付けると、日本側の歴史であるということが鮮明になる。
少なくともアイヌ文化を考えるためには整備された。
高倉新一郎の「アイヌ政策史」はタイトルが明解で、はっきりと日本側の考え方であることが理解でき、日本側がいかにアイヌ民族を取り扱ってきたかがわかる日本史である。
では、アイヌ民族を主体としたアイヌ史というのは無いのだろうか。
文字を持たない人々にも歴史はあるし、歴史を表現する方法もある。
より正確にアイヌ文化の歴史的変容の実体を見極めたいと考えれば、アイヌ文化を主体とした歴史的な枠組みが必要になる。
アイヌ民族を主体とした歴史が具現化しにくいのは、歴史は文字によって記録されるものと考える人がまだ多いからであろう。
文字を持たない人々の歴史はどのように組み立てられるか、アイヌ民族の主体的な歴史、アイヌ史を組み立てる必要がある。
はたしてそれは出来るのだろうか。アイヌ文化とは何かを考えるために、無文字社会の歴史はどのように組み立てられるかを考えなければならない。
ここで、このようなアイヌ文化を主体としてアイヌの歴史を組み立てていく歴史をエスノヒストリーと称して、これまでのアイヌ史と区別する必要がある。
アイヌ史という表現は、既に文字社会側からの歴史として使用されているので、歴史構築の枠組みが異なる点を認識する必要がある。
(深沢 百合子 札幌国際大学人文学部教授)
(「新北海道の古代」「擦文文化・アイヌ文化」)
http://www.intcul.tohoku.ac.jp/siencetec/fukasawa.html
■プロフィール 博士